nazomikan

ロード初裏🙅‍♂️序🙆‍♂️

2025-11-14

陽のモノ

大山街道を歩いてたら庚申塔を見つけた

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新発見のように書いたが実際のところ、存在は何年も前から知っている

(ただ庚申塔の読み方も知らなければ背後の庚申信仰もしらなかったので、そういう意味では新発見なのかもしれない)

街中の至る所に庚申塔があることに少し興味があったので庚申信仰というものを調べてみた

どうやら中国由来の宗教で、「人間の体の中には実は虫がいて、それが2ヶ月に一度、宿主の人間が寝た頃合いを見計らって抜け出し、天の神々のもとにいって宿主の日頃の行いをチクるというものらしい。 悪いことをするとそこでバレて寿命縮められる」みたいな話らしい

これ自身はまぁよくある宗教的な話だなと思うだけなのだが、それが日本で流行った理由は興味深かった

チクり虫が体からでてくるのが2ヶ月おきで、日が決まってるならその日寝なきゃ体から出て来れないしチクれないわな、よし徹夜しよう! ってハックからから始まり、どうせならみんなで集まって酒飲もうヤー、遊んじゃおうヤーってなり楽しいイベントと化して定着していったということらしい

陽キャだな〜と思う


思えば日本人に好かれる文化だったり定着する宗教はこういった明るく現世を生きるみたいなのが多いように思う

かの松尾芭蕉も亡き和歌の軌跡を辿る真面目な旅として奥の細道にでかけるが、どこもかしくも和歌で読まれた情景はなくなっていて打ちひしがれきって諸行無常を詠んでみたり、変わらないものを探すなどしたけど結局、現世楽しんじゃお!なくなるものばかりに目を向けるんじゃなくて残ったものにも目を向けようといったテイストに仕上がる

かるみとかいうけどこれも日本人らしい楽観的な感覚があるように思う


宗教も山で修行する派と山降りて、もう南無阿弥陀だけ言ってたらええよ、その辺は阿弥陀に甘えて今を生きろみたいな派があって全国に広まったのは後者系である

毎日のニュースを正面から見ていると病みやすい国民性のような印象を受けてしまうけど、実際のところ、根は陽キャなのかもしれない

折に触れてそういう隠れた精神性に気付くとき、なんだかそれを愛おしく思ったりもする


私の身の回りでも大切に思っている仲間との別れが度々起こる

その哀しみを認識しつつも、残った思い出や彼らによって変わった自分を感じて前向きに生きていくのがいいんだろう

私も陽のモノなのだから


蛤のふたみにわかれなんとやらというやつである